
精神科医Elisabeth Kübler-Ross(エリザベス・キューブラー・ロス)は、著書『死ぬ瞬間~死とその過程について/On Death and Dying』(1969年)で知られるだけの「研究者」ではありません。父の勧めに反発して医師の道を選び、戦後ヨーロッパで孤児や難民と生活し、臨床では終末期患者のベッドサイドに座り続けた人です。キューブラー・ロスの核心は、死を統計ではなく人間の物語として捉え、尊厳を守ろうとする型破りで情熱的な生き方にあります。
『On Death and Dying』で提示された死の受容過程の五段階モデルは、否認、怒り、交渉、抑うつ、受容の心理過程を示した枠組みです。これは「必ずこの順に進む」定型ではなく、段階が行き来する、複数が共存することもある動的なプロセスとして捉えるのが本質です。
五段階は患者の感情に名前を与える言語として役立ちます。医療者や家族は「どの段階か」を決めつけるのではなく、今目の前の反応(たとえば怒りの背後にある恐れ)を理解し、安全な傾聴と選択の尊重につなげます。キューブラー・ロス自身も、モデルは地図であり現地の地形(個々の人生)に合わせて柔軟に用いるべきだと語りました。
若き日のキューブラー・ロスは父から「秘書になれ」と言われたときに「私は医者になる」と宣言して家を飛び出しました。女性が医師になるのは珍しかった時代に、強烈な独立心を示した瞬間でした。
医学生時代、病院で死にゆく患者が物置や浴室に追いやられるのを目撃し、激しく憤りました。「死を人間らしく迎える場を作る」と決意したのは、当時の医療界では非常にラディカルな姿勢でした。
キューブラー・ロスは講演で患者の最後の言葉を語り、聴衆を涙させました。その直後に「Death is part of the adventure」と笑い飛ばし、会場を和ませる。死を恐怖ではなく人間的な体験として伝えるユーモアがキューブラー・ロスの魅力でした。
1970年代以降、キューブラー・ロスはNear-Death Experiences (NDE:臨死体験)に強い関心を寄せ、患者の証言を真剣に受け止めました。科学界からは「非科学的」と批判されましたが、キューブラー・ロスは「人が死をどう感じるかを無視してはいけない」と主張し続けました。
1978年、カリフォルニア州エスコンディードにShanti Nilaya(平和の家)というセンターを設立しました。これはホスピスというより癒しと成長の場であり、死と生の移行をテーマにしたワークショップを行いました。後にバージニア州へ移転しましたが、資金難や批判もあり活動は縮小しました。
キューブラー・ロスは車椅子生活になっても「I do not fear death」(死を恐れてはいない)と笑い飛ばし、訪ねてきた人に「Death is part of the adventure」(死もまた人生の冒険の一部)と語りました。死をテーマにしながらも、キューブラー・ロス自身は明るく人間臭い存在でした。
・Elisabeth Kübler-Ross, On Death and Dying, Macmillan, 1969
・Elisabeth Kübler-Ross & David Kessler, On Grief and Grieving: Finding the Meaning of Grief Through the Five Stages of Loss, Scribner, 2005
・Elisabeth Kübler-Ross, Life Lessons: Two Experts on Death and Dying Teach Us About the Mysteries of Life and Living, Scribner, 2000
・Ken Ross (ed.), The Elisabeth Kübler-Ross Foundation Archives, 2005-present
・Raymond A. Moody, Life After Life, HarperOne, 1975