
2026年NHK朝ドラ『風、薫る』では、俳優の多部未華子さんが実在の人物である大山捨松(旧姓:山川)を演じています。ネット上では大山捨松と「国歌『君が代』」の関係が話題にのぼることがありますが、実際に「君が代」の歌詞を選んだ人物は、大山捨松の夫である大山巌です。
幕末の動乱を生き抜いた大山巌が選んだ「和」の心と、米国で日本人初のトレインドナース(正規の教育を受けた看護師)となった大山捨松が持ち帰った「洋」の精神。この記事では、朝ドラ『風、薫る』の背景にある大山夫妻、さらに、大山捨松が日本の看護界に捧げた情熱について史実に基づいて紐解いていきます。
大山捨松は、明治政府が派遣した岩倉使節団に同行した5人の女子留学生の一人です。大山捨松はアメリカの名門バッサー大学を卒業後、日本への帰国直前に、自らの強い希望でコネチカット看護婦養成所(Connecticut Training School for Nurses)に入学しました。
1882年(明治15年)、大山捨松はコネチカット看護婦養成所で数ヶ月間に及ぶ理論教育と病院実習を修了し、日本人初の「トレインドナース(正規の教育を受けた看護師)」となりました。明治初期の日本には「看護」という専門職の概念が乏しい状態でしたが、大山捨松は近代的な看護技術と衛生管理の重要性を日本に持ち帰りました。
日本に帰国した大山捨松を待っていたのは、女子教育の場の不足と、女性が専門職を持つことへの冷ややかな視線でした。しかし、大山捨松は「看護は単なる奉仕ではなく、科学的な知識に基づいた専門技術である」という信念を貫きました。
大山捨松が看護にこだわった理由は、ボランティア精神だけではありません。アメリカで最先端の医学に触れる中、「国民の健康と衛生こそが国を強くする」という確信を得たためです。後に大山捨松は、夫・大山巌の理解を得ながら、日本の看護教育の環境整備に尽力していくことになります。NHK朝ドラでは大関和と鈴木雅をモデルとした女性に「トレインドナースになりませんか」と声をかけていましたね。
国歌「君が代」の成立に最も深く関わった人物の一人は、大山捨松の夫である大山巌(当時は大山弥助)です。
1869年(明治2年)、イギリスの軍楽隊長フェントンから「日本にも国歌が必要だ」という提案がなされた際、薩摩藩の歩兵隊長であった大山巌が、自身が愛唱していた薩摩琵琶の『蓬莱山』という曲の歌詞の中から「君が代」のフレーズを推薦しました。
大山巌が選んだ「君が代」の歌詞は、後に雅楽の旋律と融合し、現在の国歌へと発展していきました。大山巌は、国歌「君が代」の生みの親の一人として歴史に刻まれています。
大山捨松自身が「君が代」を初めて歌ったという直接的な公的記録は見当たりません。しかし、大山捨松は「鹿鳴館の華」として外交の最前線に立ち、大山巌とともに「日本の文化を西洋にどう示すか」という課題に向き合いました。
流暢な英語を操り、西洋の礼儀作法を熟知した大山捨松は、国旗の掲揚や国歌の演奏が行われる国際的な社交の場において、日本が文明国であることを体現しました。大山巌が選んだ「日本の象徴」である歌詞の世界観を、大山捨松はその気品ある振る舞いによって国際社会に印象付けたと言えます。
朝ドラ『風、薫る』では、大山捨松という人物が、現代の視聴者も共感できる「壁に挑み続けた一人の女性」として描かれています。自らもトレインドナースですが、大関和と鈴木雅をモデルとした女性に「トレインドナースになりませんか」と声をかけ、さらに多くのトレインドナースを日本の地で生み出しました。
朝ドラ『風、薫る』の劇中でも描かれる通り、大山捨松の大きな功績の一つは、高木兼寛が設立した有志共立東京病院(現・東京慈恵会医科大学附属病院)における看護婦養成所の支援です。大山捨松は自ら現場に立ち、資金調達のための慈善バザーを日本で初めて開催するなど、看護の専門教育を日本に定着させるために奔走しました。
社交界で活動する一方で、大山捨松は一貫して「トレインドナース」としての誇りを持ち続け、日本における看護師の社会的地位向上に貢献しました。
大山捨松の、もともとの名前は「さき」でした。幕末の戊辰戦争で会津藩は敗北、明治4年(1871年)日本初の女子留学生としてわずか11歳でアメリカに渡ることになった際、母親のえんが改名を決めました。幼い娘を異国へ送ることは、親にとって「娘を捨てる」も同然の覚悟が必要でした。「捨てたつもりで待つ」という母の覚悟で改名、大山捨松は帰国後、有志共立東京病院(現・慈恵医大病院)の看護婦養成所設立に尽力し、日本の看護教育の礎を築きました。
朝ドラ『風、薫る』では、大山捨松の名前の由来が、主人公のりん(見上愛さん)や直美(上坂樹里さん)たちが困難に直面した際の勇気の源として表現されています。「過去を捨ててでも、新しい未来を切り拓く」という大山捨松の精神は、2026年を生きる視聴者の胸にも響くエピソードとなっています。
Q:大山捨松は大山巌とともに君が代を作曲したのですか?
A:いいえ。大山捨松は作曲に関わっていません。「君が代」の歌詞を選定したのは夫の大山巌であり、作曲はフェントンや林広守らが担当しました。
Q:大山捨松が日本初の看護師というのは本当ですか?
A:はい。アメリカの看護学校を卒業し、正規の教育課程を修了した日本人初の「トレインドナース」であることは歴史的事実です。アメリカで教育を受けましたので、日本で育てられた、という意味の"日本初トレインドナース"ではありません。
Q:朝ドラ『風、薫る』は実話ですか?
A:実在の人物である大山捨松をモデルにしていますが、ドラマの物語自体はフィクションです。登場人物のセリフや細かな演出にはドラマ独自の創作が含まれています。
大山捨松は、「看護」と「外交」、そして「教育」という3つの分野で日本の近代化に貢献しました。大山巌が選んだ「君が代」が日本の音となり、大山捨松が広めた「看護」が日本の医療の礎となりました。大山捨松の生涯は、どんな逆境にあっても自分を信じて学び続けることの尊さを現代に伝えています。
朝ドラ『風、薫る』を通じて、大山捨松が遺した精神を感じ、その志を次の世代へと繋いでいくことが期待されます。
※本記事は2026年時点の情報に基づき、事実とドラマの演出を区別して執筆しています。