
「コロリ」という不気味な響きを持つ言葉。江戸時代から明治時代にかけて、日本中を恐怖のどん底に陥れたこの病気(感染症・伝染病)は、現代の病名で言うところの「コレラ」です。
今村翔吾氏による明治期の死闘を描いた小説『イクサガミ』や、2026年前期放送のNHK連続テレビ小説『風、薫る』など、明治の動乱を描いた作品においても、この病は避けて通れない「見えない強敵」として登場します。当時は有効な治療法がなく、ひとたび流行すれば数日で数万人の命を奪う、文字通り「最凶の感染症」でした。
現代医学において、コロリこと「コレラ」は、コレラ菌(Vibrio cholerae)に汚染された水や食物を摂取することで感染する急性経口感染症です。コレラ菌が小腸に定着して産生する「コレラ毒素」が、腸管内へ大量の水分と電解質を排出させます。これにより、人間は短時間で激しい脱水状態に陥ります。現代では適切な輸液(点滴)があれば救える病気ですが、当時はその仕組みが解明されていませんでした。
「コロリ」の語源には諸説ありますが、最も有力なのは「コロリと死んでしまう」という、病の進行の早さを表す擬音語から来たという説です。江戸時代前期には既に「頓死(急死)」を指す言葉として「コロリ」が存在しており、それがコレラの急激な症状に当てはめられました。
幕末から明治にかけては、その凄惨な症状を猛獣になぞらえて「虎狼痢(ころり)」という漢字が当てられました。「虎や狼のように人を食い殺す病」という意味が込められており、文久2年(1862年)の大流行時にはこの表記が広く普及しました。
コレラの最大の特徴は、「米のとぎ汁状(ライスウォーター様)」と呼ばれる、白く濁った水のような便が大量に出ることです。これに伴い、激しい嘔吐と腹痛が起こります。わずか数時間で数リットルもの水分を失うため、皮膚は乾燥して紫色になり、目は落ち窪み、声は枯れ、全身に激しい筋肉の痙攣(こむら返り)が起こります。この「脱水による循環不全」が直接の死因となります。
2026年放送の『風、薫る』は、明治のナイチンゲール、トレインドナース(正規の教育を受けた看護師)の物語です。この作品が描く明治期は、日本が近代国家へ移行する一方で、公衆衛生が未発達であり、コレラが周期的に大流行した時代です。作中でも、当時の人々の命を脅かす理不尽な天災として「コロリ」の流行が描かれ、時代の過酷さを物語る重要な要素となっています。
明治初期を舞台にした今村翔吾氏の『イクサガミ』。史実において、明治15年は日本国内でコレラが猛威を振るった年であり、内務省衛生局の記録によれば全国で約16万人が感染、約11万人が死亡するという凄まじい被害を出しています。この前後の時代を含めて、作中の登場人物たちが殺りくの渦中に身を置く裏側で、現実の日本もまた「コロリ」という抗いがたい死の脅威に晒されていたのです。
日本で最初の本格的な大流行は文政5年(1822年)でしたが、江戸を壊滅状態に陥れたのは安政5年(1858年)の流行です。長崎に入港した米国軍艦ミシシッピ号の乗組員から感染が広まったとされています。わずか数ヶ月で江戸の人口の数%にあたる約3万人(諸説あり、10万人とも)が死亡したと記録されており、葬儀が追いつかず、火葬場がパンクするほどの惨状でした。
コレラは当時「三日コロリ」とも呼ばれました。これは、朝に元気だった人が夕方に発症し、三日も経たずに亡くなるという驚異的な進行の早さを象徴しています。感染してから潜伏期間を経て発症し、激しい脱水によって一晩でショック状態に陥るため、当時の人々にとって「昨日まで隣で笑っていた人が、今日はもう骸(むくろ)になっている」という光景は、日常的な悪夢でした。
細菌の存在が知られていなかった江戸時代、人々は病を「悪霊」や「祟り」と考えました。そのため、神社仏閣での祈祷(きとう)や、魔除けのお札を玄関に貼ることが最大の防御策でした。 また、唐辛子やお酢、梅干しが予防に効くと信じられ、これらが市場から消えるほどの騒動も起きました。しかし、これらは根本的な治療にはならず、むしろ唐辛子などで胃腸を荒らし、体力を消耗させて逆効果になるケースも多かったと考えられます。
明治政府は西洋医学に基づき、感染者を強制的に「避病院(ひびょういん)」へ収容し、住居を強力な殺菌剤「石炭酸(フェノール)」で消毒するなどの強硬な防疫政策を行いました。しかし、石炭酸の刺激臭や強制隔離は民衆の強い反感を買い、「政府が毒をまいている」といったデマが飛び交い、各地でコレラ一揆が発生する事態となりました。
医学界では、適塾を開いた緒方洪庵らが治療法の確立に奮闘しました。安政の流行時、洪庵は海外の医学書を急ぎ翻訳し、日本初のコレラ治療専門書『虎狼痢治準(ころりちじゅん)』を著しました。この中で洪庵は、衣服の煮沸消毒や隔離の必要性を説いており、科学的根拠に基づいた対策の先駆けとなりました。
コレラが日本からほぼ姿を消したのは、上下水道の完備による功績が非常に大きいです。コレラは汚染された水を通じて広まるため、飲み水と下水を完全に分離し、塩素消毒を徹底することで、感染ルートが物理的に遮断されました。明治から大正、昭和にかけてのインフラ整備が、最大の防御壁となったのです。
現代において、もしコレラに感染したとしても、死に至ることは極めて稀です。最も重要なのは失われた水分と塩分を補う輸液療法(点滴や経口補水液)です。また、コレラ菌を直接叩く抗菌薬(抗生物質)も存在するため、早期に医療機関を受診すれば、数日で回復する病気になりました。
Q:コロリと現在のコレラは全く同じ病気ですか?
A:はい、原因菌(コレラ菌)は同じです。ただし、幕末・明治期に猛威を振るったのは「古典型」という毒性の強いタイプで、現代日本で見られる「エルトール型」よりも致死率が高かったのが特徴です。
Q:『イクサガミ』の明治初期にコレラは本当に流行していましたか?
A:はい。イクサガミの舞台は明治11年ですが、とりわけ明治15年は日本史上でも指折りの大流行年です。感染者数約16万人、死者数約11万人という、当時の人口比からしても凄まじい被害を記録しています。イクサガミの時代背景にコロリ流行は本当にありました。