はっきりと死を意識するようになったとき、私は45歳でした。両親も老いてきて、父も母も76歳でした。両親がいつまで生きていてくれるかわかりませんが、私自身がそれほど長くは生きられないだろうと考えるようになりました。
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そこで、私と両親、そして兄と妹がみんなそろっているうちに、家族の絆を強めておきたいと思い、両親を連れて兄と妹の家を訪ねる旅行を計画しました。
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それを実行したのが、1996年(平成8)年の暮れから翌年の正月にかけてです。ちょうど両親の金婚式の年でもあり、父も母も喜寿(77歳)の年でした。
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1996年12月29日、私と両親の三人は出雲空港から飛行機に乗り、羽田空港に着いたところを、兄が出迎えてくれました。母は飛行機で酔ったため、その夜は品川のホテルに1泊し、翌30日に千葉県柏市の妹の家に3人そろって行きました。
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そして翌31日は父と私で千葉市の兄の家に行く予定だったのですが、母が「こんなことはもう2度とできないだろうから、自分もいっしょに行きたい」と希望するので、両親と私の3人で兄の家を訪ね、その日の夕方、妹の家に帰ってきました。(『C型肝炎とともに生きる』景山昇/平成12年11月15日/マキノ出版)