妻が悪性腫瘍のために再び病床につくようになったのは、1984年の秋であった。その年の夏、ソウルで学会があり、妻も私と一緒に韓国に出かけたが、その頃から身体に変調を覚えるようになったようである。激しい口乾を訴え、やたらに甘い菓子類を欲しがった。自分でも、糖尿病ではないかと疑い、主治医に相談した。最初の手術から5年が経過していた。はじめのうちは、3ヶ月か6ヶ月に一度は精密検査をしていたが、その頃は自分も安心していたのか、約1年間検査らしい検査はしていなかった。
主治医は糖尿病の方は放ったらかしで、腹部の断層撮影を行った。そして疑わしい陰影を発見した。私も、恐らく妻も、これからの暗い未来を直感した。妻は死ぬ直前に、見舞いに来た従妹に、「私は失敗した。油断していた...」と後悔していたそうである。しかし彼女は私たち父子には、決して弱音を吐かず、悪性腫瘍の再発を自覚しているという素振りを見せなかった。
(『おれたちは家族』大原健士郎/1989年7月20日第1刷/朝日出版社)
【敏塾の100冊】「私は失敗した。油断していた...」この言葉に無念さが感じられます。こんなはずじゃなかった、間が空いていた検査への後悔でしょうか。そして、家族にはそういう弱音は一切見せなかった心中は...