
日本社会では「ふつう」「ちゃんとする」「空気を読む」といった暗黙のルールが重視されます。ADHD(注意欠如・多動症)の特性は、その基準とのズレとして目立ちやすく、誤解や孤立につながることがあります。行動そのものではなく、見え方と背景を分けて考える視点が重要です。
映画『ノルマル17歳。 わたしたちはADHD』は、若者が「普通」に合わせようとするほど自分らしさから遠ざかる葛藤を繊細に映し出します。主人公の違和感や生きづらさは、ADHDの人が抱えやすい「切り替えの難しさ」や「過集中」とも重なる部分があります。作品は診断やラベルではなく、関係性と視線の強度を描き、私たちの「ふつう」の基準を静かに問い直します。
科学教養番組『ヒューマニエンス』では、ADHDの脳の個性を進化の文脈で捉える視点が紹介されます。前頭前野の実行機能、側坐核の報酬感受性、小脳のタイミング調整、そしてDMNとFPNの切り替えなど、トリプルパスウェイモデルの要点が一般向けにわかりやすく示されます。
高橋長秀医師ら専門家の解説は、「行動」だけを見て判断する危うさを指摘します。脳の働き方に目を向けると、「できない」のではなく「切り替えに時間がかかる」「報酬がないと動きにくい」といった特性として理解できるようになります。
小野和哉さんの当事者研究や発信は、「だらしない」「なまけている」というラベルの奥にある認知の工夫と環境調整を具体的に示します。経験を言語化し、共有することは、偏見をほぐし、支援と共感の輪を広げる力になります。
「ふつう」は時代や文化で変わる可変の基準です。ADHDの特性を「ズレ」ではなく多様性として捉えることで、本人の強み(過集中、アイデア創出、現場感覚など)が社会で生きやすくなります。私たち自身の基準を少し緩めることが、関係性の安心を生みます。
映画や番組、当事者の声を通じて、ADHDは「性格」ではなく脳の働き方と環境との相互作用に根ざすことが見えてきます。次回はADHDと才能に焦点を当て、創造性と過集中の光と影を探ります。
映画『ノルマル17歳。 わたしたちはADHD』、番組『ヒューマニエンス』関連回、高橋 長秀 医師の解説・講演資料、岩波 明『発達障害』、当事者研究(小野和哉 ほか)