

中村哲(1946-2019)は福岡県出身の医師で、九州大学医学部を卒業しました。内科・感染症を専門とし、1980年代からパキスタンやアフガニスタンで医療活動を展開しました。現地の医療不足を目の当たりにし、診療だけでなく生活基盤の改善へと活動を広げ、後年の用水路事業へとつながりました。
藤田千代子は1990年にペシャワール会の活動に参加し、看護師として現地医療を支えました。ハンセン病治療や用水路事業の資材調達などを担当し、現在はPMS支援室長を務めています。2021年には国際赤十字からフローレンス・ナイチンゲール記章を受章し、その功績が世界的に評価されています。
干ばつに苦しむ地域で農業復興を目指し、中村らは灌漑用水路建設を主導しました。伝統工法を活かし、現地住民と協働することで持続可能な仕組みを構築。結果として65万人以上の生活を支える成果を上げ、医療から農業へと活動の幅を広げた象徴的事業となりました。
ファヒームはアフガニスタン人の技術者で、中村哲医師の右腕として用水路建設に携わりました。現地の地形や水利に詳しく、工事の実務を担いながら住民と協働し、事業の持続性を支えました。中村亡き後も「緑の大地計画」を継続する中心的な存在とされています。
ディザートも同じく現地スタッフで、用水路建設や農業支援に関わった仲間です。工事現場での監督や住民との調整役を担い、地域に根差した活動を支えました。中村哲が「日本人だけではできない。現地の人々と共に進めることが大切」と語った通り、ディザートはその理念を体現する協働者でした。
二人の存在は、ペシャワール会とPMS(Peace Japan Medical Services)の活動が現地に根付き、持続可能な仕組みとして継続できた大きな要因です。彼らは中村哲の遺志を継ぎ、今も地域の人々と共に活動を続けています。
1983年設立のペシャワール会は、医療支援から始まり、農業・教育・水資源管理へと活動を拡大しました。理念は「人々の命を守るために必要なことを現地で実行する」。地域に根差した持続可能な支援を重視し、医療と生活改善を一体で進めるアプローチが特徴です。※ペシャワール会は日本国内の支援団体で、現地で活動するのがPMSです。つまり、ペシャワール会が日本から支援し、PMSが現地で実行するという役割分担になっています。
中村哲やペシャワール会の活動は、映画「荒野に希望の 灯をともす」(谷津賢二監督、90分)など複数のドキュメンタリー作品で紹介されています。映像を通じて現地の厳しい状況と活動の意義が広く伝えられ、教育や教材としても活用されています。NHK「新プロジェクトX」など各種ドキュメンタリー番組、ニュースにも取り上げられました
活動を継続するには家族や仲間の支えが不可欠でした。藤田千代子は看護師として専門性を発揮しつつ、生活面での支えや活動継続のための調整役を担いました。家族や仲間の視点から見た活動は、人道支援を「暮らしを取り戻す営み」として捉え直すきっかけにもなります。
2019年12月、アフガニスタンで銃撃を受けて死亡しました。国内外で追悼の動きが広がり、公園や記念碑が建立され、活動の記憶と学びを未来へつなぐ場が生まれています。現地では事業の継続が図られ、理念や技術、協働の仕組みが引き継がれています。
医師と看護師の協働は、医療と生活基盤を結びつける支援モデルを示しました。用水路事業は「水・農・衛生・教育」を連動させ、暮らしの循環を回復させる実例となりました。二人の歩みが残したのは、現地の人々と共に考え、手を動かし、続けるという姿勢です。ペシャワール会や支援者による継承は続き、学びは地域を越えて広がっています。2025年のアフガニスタン地震の際にも日本からの精力的な活動は続いています。そして、これからも...