夕方に五階の集中治療室を出て八階の一般病棟に移った。五階には八日間いたことになる。オレが入っていた病室は、病棟の一番隅にある五坪ほどの個室で、何もかもが白く清潔で明るい部屋だった。この部屋で意識不明状態から抜け出て、かなり自由に喋られるようになり、少しは自力でものを口に運べるように回復した。
気取っていえば、よみがえりを経験した部屋なわけだ。一度死んだビートたけしが、別のビートたけしとして誕生し、言葉一つ喋れず、何一つできない赤ん坊状態からヨチヨチ歩きができるまでの小児病室のようなものだった。しかし、実際のところ、オレは体そのもの、ものそのものの辛さを嫌というほど味わった場所だった。いい年の大人が赤ん坊になるのは厳しいもんだ。(略)
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こりゃあ、自分で自分の体を積極的に動かしていかなければアウトだって思った。
だから、顔がどうなろうとも、とにかく歩かせてほしいって、看護婦さんにいったんだよ。二足歩行を始めれば、他のことはどうにでもなるって思ったんだ。野生というか人類が歩き始めた頃というか、要するに動物そのものに戻った感じがあった。(略)
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「顔の手術なんてしなくてもいいから、顔はこのままでいいから街中を歩かせろ、家に帰らせろ」って心底思った。(『顔面麻痺』ビートたけし/1994年11月/太田出版)
※ビートたけしさんが事故で大怪我を負ったことを記した著作より。「いい年の大人が赤ん坊になるのは厳しいもんだ」「顔はこのままでいいから街中を歩かせろ、家に帰らせろ」あたりからも入院のつらさ、体を動かせないつらさが伝わります。(敏塾)