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瀬戸内海の美しい島々。しかし、本州や四国と橋で繋がっていない島々に住む人々にとって、医療へのアクセスは長年、大きな壁となってきました。体調が悪くても、船を乗り継ぎ、移動だけで半日を費やす。そんな離島医療の不便な現実を、自ら操縦桿を握り、空を飛ぶことで打破しようと挑む医師がいます。次田展之(つぐたのぶゆき)医師です。
次田展之医師は医学部在学中にパイロットの免許を取得し、プロのエアショーパイロットとして活躍した異色の経歴を持ちます。現在は医療法人心海会の理事長として、百島(広島県尾道市)、佐木島(広島県三原市)、そして岩城島(愛媛県越智郡上島町)の診療所を飛び回り、島民の命を守り続けています。この記事では『情熱大陸』でも特集された次田展之医師が目指す「自分にしかできない医療」の核心に迫ります。
次田展之医師の歩みは、一般的な医師のキャリアパスとは一線を画しています。1973年に神奈川県で生まれた次田医師は、日本大学医学部在学中に人生を大きく変える決断をしました。小型飛行機の操縦免許取得のために渡米した際、現地で見たアクロバット飛行に心底魅了されたのです。
次田展之医師は単なる趣味に留まらず、伝説的なエアショーパイロットであるショーン・タッカー氏に直接弟子入りを志願しました。過酷な訓練を経てアクロバット飛行の技術を習得し、帰国後は医師とパイロットの二刀流として歩み始めました。2002年には日本のアクロバット飛行チーム「エアロック」の一員として、観客を魅了するエアショーパイロットとしての地位を確立。空を舞う技術と、病を癒やす医学。その二つは、後の「離島医療」という次田展之医師のライフワークにおいて、見事に融合することとなります。
次田展之医師が医師として歩む中で突き当たったのが、日本の離島における「医療の空白」という深刻な問題です。橋のない島々では、緊急時の対応や定期通院において、船便という不安定な移動手段に依存せざるを得ません。次田展之医師は、自身が持つパイロットとしての能力を最大限に活用し、自ら操縦するヘリコプターで患者の元へ駆けつけるという、前例のない迅速な診療体制を築きました。
2011年、最初の拠点として百島診療所を開設。その後、2018年には佐木島診療所、そして2026年には、閉鎖により医療の拠点を失っていた岩城島診療所を再開させる形で開設しました。これらの診療所は単なる施設ではなく、次田展之医師の「空の移動」によって、島民にとっての「いつでも頼れる場所」として機能しています。
次田展之医師はいつも普段着のまま、患者と向き合います。次田展之医師が何よりも大切にしているのは、患者の「既往歴」だけでなく、「家族構成」や「好きな食べ物」、さらには「日々の生活習慣」に至るまでの深い情報把握です。
診察中も、まるで家族と会話をするような世間話が飛び交います。時には「歯に衣着せぬ物言い」で鋭い健康指導を行うこともありますが、そこには確かな信頼関係が存在します。「不整脈で、いつ心臓が止まるか心配だ」と不安を漏らす80代の独居男性に対し、心電図検査を行い、異常がないことを確認すると「心配ないよ!」と力強く言い切る。冗談を交え、男性の心に寄り添った結果、男性は「ひさしぶりに笑ったよ」と晴れやかな表情で診療所を後にしました。次田展之医師が提供しているのは、単なる医学的な治療ではなく、「孤独感」をも癒やす安心感です。
取材の出発点となった2026年の岩城島診療所開設は、次田展之医師にとっても大きな挑戦でした。1年前に閉鎖してしまった島唯一の診療所です。住民にとってその閉鎖は、生活の支柱を失うことと同義でした。悪天候にもかかわらず、住民説明会を埋め尽くした島民の姿は、新しい医療への渇望の現れでした。
診察室の機材配置、パソコン環境の構築から看護師・事務員との連携まで、次田展之医師は理事長自ら現場の先頭に立って準備を指揮しました。新しい診療所には、初日から大勢の患者が押し寄せました。一人ひとりの「新患」に対し、丁寧かつ迅速に向き合う姿は、次田展之医師が目指す「自分にしかできない医療」の体現です。
次田展之医師は、医学的な知見と航空技術を武器に、離島医療という長く難しい問いに対して一つの回答を示しました。次田展之医師のような先駆的な取り組みは、日本の僻地医療が直面する高齢化や医師不足という問題に対し、大きなヒントを与えてくれます。
「自分にしかできない医療」を追求し、日々空を飛び、島を駆け巡る。次田展之医師の活動は、単なる医療サービスを超え、地域社会の結びつきを再構築する役割をも果たしています。これからも、次田展之医師の操縦桿と聴診器が、瀬戸内海の島々にさらなる「笑顔」と「安心」を運び続けることでしょう。